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江戸一 五右衛門のメモパッド

2017運勢上半期

2017年上半期

私は「いろいろなことが生まれ変わる。自分も生まれ変わる」


私は2017年上半期、
「私は何をしたいのか」ということについて
あらゆる出来事を通じ再び取り組み直します。

私にとって2017年は「もう一度生まれ直す」というぐらいまで
大きな転機の始まりとなる年になると考えている。

私は2017年を
自分の人生の「新しい章の始まり」と位置づけて
「私は何を望み、何をしていきたいのか」という設計図を新しく書き始めるのです。

それでは私の2017年上半期の流れを見ていきましょう。

「私は何をしたいのか」

まず、「私は何をしたいのか」を考えるということは、
私にとっては特別めずらしい行為ではありません。

むしろ、いつも日常生活のなかで「私は何をしたいのか」を自問し、実行しています。

私は普段から自分の目の前にあることを
「みんながやっているから」というような理由ではやりません。

「私は自分なりの考え方を持ちたいのです」というポリシーをはっきりと持っています。

もう少しこの「私の感覚」について説明していくと、
私にとって「ただ頑張る」ということはないのです。

「頑張る」という行為ひとつとってみても
「なんのために頑張るのか?」
「今の自分には何が足りないのか?」
「具体的に何をしたらもっと良くなっていくのか?」ということを考えます。

私は自分がやっていることがうまくいかない時には
「努力の量が足りなかったんだ」と考えるよりは
「やり方が良くなかったんだ」
「問題設定が間違っていたのかも」と考え、すぐに軌道修正に入ります。

私にとって特別なじみが深い言葉として、
やはり「契約」という言葉が挙げられます。

私は自分が関わる分野に関して基本的に誰よりも深くルールを熟知し、自分なりのベストを尽くします。

「ただ頑張る」という姿勢は私にはないのです。

「自分が関わると決めたことに対して深く関与していくか、まったくノータッチで終わるか」のどちらかの態度であることが多く、中途半端なことをするということも特にないのです。

これは私にしかわからない感覚になるのですが、
私って自分が「関わること」に関しては本当に慎重に決めていきます。

どうしてそこまで慎重になるのかというと、
大げさな話、私は自分が「好きで、そこに関わる」と決めたことに対しては
命懸けともとられる姿勢で徹底的にやり抜くからなのです。

「やる」と決めた以上は中途半端がないのです。

自分が「好き」「関わる」と決めたことなら、
世界や周りがどうなろうとやり抜きます。

でも、「嫌い」「無理」と決めたことなら、世界や周りがどうなろうが「私はそこに関心がない」という態度を貫きます。

ただし、私のおもしろいところはその「徹底してやり抜く」というのは契約期間内においてだけです。

契約期間が過ぎるとまた自分がどこに、どういう形で関わっていくかを自分で決めていきます。

私は自分が疲れて体力がない時の付き合いはちゃんと遮断をし、自己コントロールに集中力を割いているため、何かがうまくいかない時でも他人のせいにして愚痴を言うことなく、改善ポイントを地道に探していきます。

「自分の人生だから、自分で楽しむ」という姿勢を持っているのです。

私はほかの人からは「やると言ったら必ずやり遂げてくれる」という目で見られて信頼される機会が多くなります。

ここまで読んできてもらって、ひとつ疑問が出てくると思います。

「あなたがいろいろなことを考えながら、確認しながら生きていることはよくわかりました。では、いまさら2017年にあらためて自分の何を確認するの?」という疑問です。

2017年上半期に確認する「私のしたいこと」

私が2017年上半期に確認する「私のしたいこと」と、
2017年に至るまでの「私のしてきたこと」って、
同じ言葉のようでいて、絶対的に違うものになります。

少しこういう言い方をしたいのですが、
私は2015年もしくは2016年に「私もいろいろ経験してきたな。いろいろなことをやってきたな」と思い、ふっと肩の力を緩めています。

これまでは「どのようなことがあっても、自分で決めたことだし必ずやりきる!」と、
人知れず「執念」や「達成」そして「完成」というものに燃えてきたようなエネルギーが
「私なりに私が決めたことをやりきったんだな」と実感して
肩の力が抜けた感覚を2015年や2016年に覚えたのです。

2015年、2016年には「私がこれまでできなかった宿題をやり遂げた」と感じたこともあると思うのです。

「やり残してきたことをやりきる」。

そういうことも私はこの2年間できちんと片づけてきました。

一方、人によっては過去のこの2年間(2015年、2016年)に久しぶりにのんびり、もしくは人によっては「(今までに体験したことがないぐらい)肩の力が抜けてしまった」という体験をした方も多いと思うのです。

私は人生においてそれほどのんびりしません。
もちろん「個人的休暇」ということでのんびりはするのですが、

それはあくまで「自分のミッションを叶えていくための英気を養う」という目的に沿った「のんびり」なのです。

「あれ? 私って次何するんだろう?」というところまで「気が抜けるのんびり」をするのは
私にとってかなり珍しいことだったのです。

とにかく今の私が直感的にわかっていることは、
「今までやってきた私の人生と、これから先に迎える私の人生って全然違うのだろうな」
という感触です。

これから先に迎える未来に対して、自分のこれまでのやり方、ライフスタイル、時間の使い方、人との付き合い方、健康面に対するアプローチ、お金の回し方。

それらすべてのことを「先行して」見直してきていたのが2016年であり、
それを本格的に見直していくという年が2017年になるのです。

だからですね、私にとって2016年は
「ボーッとしてしまう」
「なぜかやりきった感があって、力が入らない」という調子を抱えることも多かったと思うのです。

もう一度繰り返すと、あなたは2016年、2017年という時間を使って
「私のしたいこと」をもう一度根本的なレベルから捉え直そうとしているのです。

私にとって「これまでは正解だったこと」が
自分にとって「もう正解として感じられない」という変化が起こってきていますし、
「じゃあ、何が私にとって正解になるのか」は、
その回答を出していくために、もう一度五感の力を頼らなくてはいけません。

ここでひとつのキーワードを出てきたのですが、
2017年の上半期に、私は「子ども返り」をする必要があるのではないか。

2017年上半期、私は子どもに返る

この「子ども返り」とは、
もう一度自分にとって何が響くのかを自らの五感を使って確かめる行為なのです。

もしくは、私がこれまでたどってきた道を時間がある時、タイミングが合う時で構わないので振り返ってみる。
・昔通っていた思い出深い場所に再び行ってみる
・昔よく会っていた友達と会ってみる、もしくは思い出してみる
・「あの時の私ってそうだ、よくこういうこと考えていたよね」と振り返る

それをやった後に「なんか、いろいろやってきたな」と自分がたどってきた時間に対してちょっと「ホロリ」としてみるのです。

「よく頑張ってきたな。みんなのおかげだな」ということでもいいです。

過去を振り返るという儀式をやってみたのです。

その作業をやった後に、「子ども返り」というキーワードが出てくるのですが、
少しやってみたいことがあるのです。

それは2017年という時間は、
「いろいろなことが生まれ変わる。自分も生まれ変わる年」とイメージしてみるのです。

つまり、今までの自分の記憶や経験に基づいて
「こう感じる」「こうする」と自動的にやるのではなく
「こんなこともあるんだ」「あ、私はこう感じるんだ」ということを、
できればイメージとしては「記憶喪失からよみがえった人」のような感じでやってみるのです。

「以前の私ならこう感じていた古い記憶はあるけれど、今の私はこう感じるんだ。新鮮」という感じですね。

2017年は私にとって
「これから先の人生を生きる」ための設計書をいろいろ作り替えていく1年になります。

私があらためて、
白紙の設計図の上に「私はこれをうれしいと思った」などの記録を書いていきます。

ひとつだけ注意が必要なのは、その新しい設計書にはなるべく「古い価値観」、
つまり「これまではどうしてもこれができなかったから、あらためてリベンジをする」という持ち越しをしないで大丈夫ということ。

2017年は新しく会う人だけではなく、
今まで会ってきた人に関しても「記憶喪失からよみがえった人」みたいな感じで、
「あ、とてもこの人は懐かしい。この人と一緒にいるとうれしさを感じる。この人とはこの先も長く付き合っていきたい」ということをあらためて感じてみるのです。

2017年、充電期間を経て復帰する

演技や舞台の世界では「当たり役」という言葉があります。

つまり、その役に関してはある演者しかできない、
他の人で代わりは務まらない役のことです。

私は人生のなかで
「私にしかできない当たり役」をストイックな覚悟と共に引き受けてきました。

ある場合において、私は主役としてこれまで振る舞ってきたかもしれないし、
ある場合においては舞台を盛り上げるための「脇役」をストイックに演じ続けてきたかもしれません。

でも、長く続いてきた私の「当たり役」って、
「もうそろそろ違う役に入ってもいいよ」という形で卒業していくのです。

これまではみんなが知っている「江戸一五右衛門」から、
みんなが知らない私になっていくのです。

私は過去2年間、
新しい役目になっていくための空白期間を作りました。

それが充電期間だったのです。
その充電期間では「いつもの自分のキレ味」を確認できなかった人もいらっしゃると思います。

でも、私は充電期間を経て、
2017年上半期には「これまでにない私」に復帰します。

新生の私を迎えていくのです。

だから、2017年に私は生まれ変わることを恐れない。

たしかに、私がこれまで力を入れてきて、
達成に向かって走ってきた諸々の出来事は2016年でひと区切りつきます。

私は2017年をひとつの節目として
「人生がガラリと変わって」しまってもいいのです。

新しい展開を「生まれ直した感覚」で迎えていっていいのです。
ちゃんと「ワクワク」しよう。

そして楽しむこと! 0(ゼロ)に戻ってしまうのなら、それはそれで全然構わないから。

まったく新しい世界が待っている。それが私にとっての2017年の上半期になっていくから!


月ごとの計画
1月
始動
「始動」。
この2017年はとても良い意味で「他人に左右される、他人から影響される一年」になりそう。
それは私にとってはとても新鮮な感覚です。

私はどちらかというと「自分」という人間を強く持っているから、
本来はそこまで他人の影響を強くは受けません。

でも、2017年は「他人」という存在が私にとってなくてはならない存在になります。
だから、1月に意識したいのが
「大事にしている人、またはこれから出会う大事な人の影響によって私の人生の方針は変わっても構わない。なんでもかんでも自分で決定していく必要はない」と自分に伝えておく。

2月
他人に左右されてみる
「始動」、そして「わからない」を色が出始める。
まず、1月に引き続き「始動」
2017年から始まる「新プロジェクト」が私のなかで始まっています。

その新プロジェクトというのは「良い意味で他人に左右される一年になる」ということですね。

そういう意味で、私の「恐怖心」がここらで出てきます。

どういう意味かというと、私は「わからない」「(自分の方針が)決まっていない」ということに対して強い恐怖心を持ちます。

私が「自分」という人間を強く持つのは、
それは「何を考えているかわからない他人に自分の人生の支配を受けたくない」という気持ちがあるから。

でも、2017年の私は積極的に
「他人に左右されてみよう。他人という存在を通じて得られる新しい世界を知ってみよう」という気持ちになっています。だから怖がらない。

3月
人を頼ってよい
「少し抱えすぎてしまう人も出てくる」。
そしてまた「今年から始まっている新しい自分」。

「新しい一年の、新しい自分の役割」に対して多少の疲れが出始めます。

具体的にどういう種類の疲れが出るかというと、
私はそもそもそこまで「公私ともども他人と共存する」ということに慣れていないところがあるのです。

もちろん「共存能力がない」ということではないのです。

私にとっての「共存」というのは
「自分は自分。そして他人は他人。それぞれが自分の時間とペースを持っていていい。なんでもかんでも一緒になるという必要はない」というお互いがある程度自分のペースを保つ共存なのです。

それで、2017年は「良くも悪くも他人に左右されてみる」というプロジェクトが始まっているから、なかなか自分の時間を持てずにいる疲れも出てきます。

だから、本当に無理はせず、自分のペースは必ず必要だし、
私が「なんでもかんでも他人に合わせる」ということは今年の目標ではないわけですから。

関わる人全員の面倒を私が見る必要ももちろんありません。

この時期には友達と会って愚痴を言うなど、助けてもらうということも必要になるので「これくらい自分で乗り越えなきゃダメだ」と抱えすぎずに人と会って話してみてくださいね。

4月
気持ち良さという五感が目を覚ます

「荷物を降ろす」。
特別な作業で、
例えばイメージでハワイなどの南国の空港に降り立った時って「わー、着いたー!」という感じで普段の自分の緊張感など、そういうものから一気に解放されるじゃないですか。そういうイメージなのです。

その「解放感」というのが4月から私に出ます。

私はこの時期まで何をしていたかと言うと
「今までの自分の『こうでなければいけなかった自分』という役割」を
ひとつひとつ降ろしていたのです。

そして新しい自分を迎えている。その新しい自分がまず反応するのが「気持ち良さ」などの快感です。

「おいしい」「うれしい」「もっと見ていたい!」

そういう気持ち良さや快感というものが私を出会うべき世界に連れていってくれます。


5月
変化が訪れる
「変容」。

まずこの独特の言葉を説明したいのですが、
変容というのは「気づいたら、今までの自分と違っていた」というような特殊な体験です。

5月に迎える体験って本当に不思議なものになります。

例えば「何かの大きな変化が訪れる前」や「新しい自分になっていく前」って、
やっぱりちょっと怖いのです。不安に思うのです。

でも、5月には私は気づいたら変化を受け入れています。

「あ、やってみたら別にそんなに怖くなかったんだ。やっぱり昔の私より今の私のこの解放感のほうが好きだな」という変化を受け入れます。

私は自由に見えて、
実は自分にけっこう「こうあってはいけない」というような禁止事項を設ける人でした。

でも、その禁止事項がこの時期に「もうそこはこだわるところじゃないかもしれない」と思って解放されていきます。


6月
出会い
この時期になるとわかるのですが、
今年の私って「私ではなく、まったく新しい私」になっていっています。

どういうことなのかというと、
私は基本的に自分が迎え入れる新しい変化、
そして新しく迎え入れる世界に対して「Yes」と答えるのです。

「もうちょっと準備ができてから」など、
そういういつもの「慎重さと完璧な計画性」は後ろに控えます。

人でも、出来事でも、
私がこの期間に出会うものに対して「会いたかったよ」と言って歓迎してあげてください。

私が2017年に出会うもの、
そしてさらにこれまであった縁のなかでもさらに強くつながっていく縁があります。

それらの縁はみんな私の仲間であり、そしてこれからを共に作っていくものたちです。


この2017年の上半期は「他人に思いきり影響を受けちゃってください」ということなのです。

私は私を守る「壁」を持っています。

だから、できないことはやらないし、やってみる前に予測も立てます。

でも、その壁が今せっかくなくなってきているんだから、
「人生なんてどんなになっちゃっても構わない! 心が躍ればOK!」と思ってほしいのです。

奇跡は、予期される場所には表れないから。予期できない自分へ。
自分に自信を持って大丈夫です。