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江戸一 五右衛門のメモパッド

僕はポスト

約10年以上も昔。

当時、大学生だった私は
ホストクラブに足を踏み入れた。

終電を逃してしまったのだ。


雨風しのげるところと言えばどこだ?

暴対法や風営法貸金業法改訂前の
繁華街は活気溢れ深夜を回っても
活気に満ち溢れている。

少しばかりの小銭は持っていたので
キャバクラにでも行ってみようと
繁華街に足を踏み入れたことから始まった。

遡ること1980年代前半。

普通か少しばかり質素な家庭で生まれ育ち
元いじめられっ子の両親に育てられる。

父親はそんなことはないと言わんばかりに
威張り散らしていたが
今では私と兄の間では
「ありゃ絶対いじめられっ子だし、精神年齢3歳児だよな」と酒の肴になっている。

父親はリミッターが切れると
異常なまでに引っ叩く。

分厚い国語辞典の角で一発頭を叩くと
スイッチが入ったように「なんで・こんな・問題も・解けないん・だ!」と
リズムに乗せて叩く。

ストップウォッチで時間を計り、問題集を解かせ
不十分だとまたガツガツと引っ叩かれる。

怒声が飛んでくるわ、圧力のかけ方も
今振り返ると異常だ。

1年半ほどのサイクルで転勤をする
いわゆる転勤族だったのだが

小学生1年生の頃、
転校が嫌で家出をしたことがある。

とはいえ、たかが小学生だ。
行く宛と言えば同級生の自宅。

当然、親のネットワークですぐにバレた。


その日は友人宅に泊まり
翌日、家に帰された。

帰宅するや否や父親
世間体を気にして「恥をかかせやがって」と言い放ち
私の両手と両足を後ろで縛り身動きが取れないようにして
寒くて暗い部屋に閉じ込めた。

思い出したら、ちょっとした殺意が湧いてきた。

何か問題があれば「おまえの教育が悪い!」と母親に怒声が飛ぶ。


リミッターが切れるとおかしくなるのは
父親だけではなかった。

小学3年生の頃、友人宅のマンションの1階に駄菓子屋があって
ひょんなことから「どんぐりガム」を1個万引きしてしまったのだ。

味をしめたのか
その日以降も続けた。

1個が2個に増え
2個が3個に増えた。

さすがのおじいちゃん店主も見兼ねたのか
どこの部屋の子供だと尾行したみたいで
万引きがバレた。

母親から友人宅に電話が入り、
「すぐに帰ってこい」と渋々帰宅した。

当時住んでいた家は
玄関を入って左手にキッチンがあった。

家に着き、玄関に入ると
母親が包丁で夕飯の仕込みをしていた。

私に気付くと目が虚ろになりながら
包丁を持ちながら玄関にソロリソロリと擦り歩いてくる。

幼いながらも危険を察知したのだろう。

私は靴を脱がず、玄関のドアノブから手を離さず
すぐに飛び出せるような体制で固まっていた。

「死のう。。。?あなたを殺して私も死ぬから。一緒に死のう。。。?」


イっちゃってる。


「嫌だ。」


そんな攻防を繰り返している内に
キッチンに包丁を置き
店主に謝りに行くと言い始める。


果物包丁でも仕込んでないかと逃げられる距離を保ちながら
駄菓子屋へ向かった。

謝罪を終え、自宅へ帰る途中の土手で
再度「ここから飛び降りたら死ねるかなぁ。。一緒に死のう。。」と言い始める母親。

叱るや怒るという次元ではない。

本気で死を提案してきているし
目がイっちゃってる。


そんな母親と父親の元で私は育った。

中学生になり、転校することもなくなった頃
中途半端にグレた。

喧嘩するわけでもなく、暴走族に入るでもなく
部活で汗を流し、夜中に原付バイクで仲の良いメンバーで集まっては徘徊した。

実に中途半端にグレた。

高校でも部活に汗を流すかたわら
他校の暴走族に属さない人間で集まっては徘徊した。

今では当たり前のように味わえるが
当時の深夜の空気の澄み渡る感じや
オイルの匂いの新鮮さは刺激的だったのを覚えている。

ミスター中途半端に育った
そんな私がホストクラブで働き始めた。


つづく