メモパッド

江戸一 五右衛門のメモパッド

大掃除はダイソン


「あっっっ(・Д・)」という間にやってくる年末。


今年は早めにやろうと思っていたのに…
少しづつ進めてみたものの、どこからともなく埃が…


毎年、やるまでは重いのだけれども

やり始めたら止まらなくなるのが【大掃除】。


「こうなったら徹底的に隅から隅までやってやっぞ٩( ᐛ )و」と


その意気込み。ダイソンが応えます。




他社を寄せ付けないダイソンの代名詞は


掃除機の命とも言える「吸引力」です。


最近は床に傷を付けまいと、クイックルワイパーのみで掃除する人もいるくらい。

私もクイックルワイパー派でした。


だけれども、クイックルワイパーにも限界があります。


毎日ともなると、コスパもバカにならなかったです。。。


ちょっとお安めの掃除機を買えば吸引力が足らず一箇所を2往復ほどしてみたり


ヘッド部分で大きめの埃が吸い取れなくてワナワナしたりしました。


コードレスタイプで、床やトイレや脱衣所の換気扇、エアコンのフィルターなど大活躍をしてくれました。

僕はポスト

約10年以上も昔。

当時、大学生だった私は
ホストクラブに足を踏み入れた。

終電を逃してしまったのだ。


雨風しのげるところと言えばどこだ?

暴対法や風営法貸金業法改訂前の
繁華街は活気溢れ深夜を回っても
活気に満ち溢れている。

少しばかりの小銭は持っていたので
キャバクラにでも行ってみようと
繁華街に足を踏み入れたことから始まった。

遡ること1980年代前半。

普通か少しばかり質素な家庭で生まれ育ち
元いじめられっ子の両親に育てられる。

父親はそんなことはないと言わんばかりに
威張り散らしていたが
今では私と兄の間では
「ありゃ絶対いじめられっ子だし、精神年齢3歳児だよな」と酒の肴になっている。

父親はリミッターが切れると
異常なまでに引っ叩く。

分厚い国語辞典の角で一発頭を叩くと
スイッチが入ったように「なんで・こんな・問題も・解けないん・だ!」と
リズムに乗せて叩く。

ストップウォッチで時間を計り、問題集を解かせ
不十分だとまたガツガツと引っ叩かれる。

怒声が飛んでくるわ、圧力のかけ方も
今振り返ると異常だ。

1年半ほどのサイクルで転勤をする
いわゆる転勤族だったのだが

小学生1年生の頃、
転校が嫌で家出をしたことがある。

とはいえ、たかが小学生だ。
行く宛と言えば同級生の自宅。

当然、親のネットワークですぐにバレた。


その日は友人宅に泊まり
翌日、家に帰された。

帰宅するや否や父親
世間体を気にして「恥をかかせやがって」と言い放ち
私の両手と両足を後ろで縛り身動きが取れないようにして
寒くて暗い部屋に閉じ込めた。

思い出したら、ちょっとした殺意が湧いてきた。

何か問題があれば「おまえの教育が悪い!」と母親に怒声が飛ぶ。


リミッターが切れるとおかしくなるのは
父親だけではなかった。

小学3年生の頃、友人宅のマンションの1階に駄菓子屋があって
ひょんなことから「どんぐりガム」を1個万引きしてしまったのだ。

味をしめたのか
その日以降も続けた。

1個が2個に増え
2個が3個に増えた。

さすがのおじいちゃん店主も見兼ねたのか
どこの部屋の子供だと尾行したみたいで
万引きがバレた。

母親から友人宅に電話が入り、
「すぐに帰ってこい」と渋々帰宅した。

当時住んでいた家は
玄関を入って左手にキッチンがあった。

家に着き、玄関に入ると
母親が包丁で夕飯の仕込みをしていた。

私に気付くと目が虚ろになりながら
包丁を持ちながら玄関にソロリソロリと擦り歩いてくる。

幼いながらも危険を察知したのだろう。

私は靴を脱がず、玄関のドアノブから手を離さず
すぐに飛び出せるような体制で固まっていた。

「死のう。。。?あなたを殺して私も死ぬから。一緒に死のう。。。?」


イっちゃってる。


「嫌だ。」


そんな攻防を繰り返している内に
キッチンに包丁を置き
店主に謝りに行くと言い始める。


果物包丁でも仕込んでないかと逃げられる距離を保ちながら
駄菓子屋へ向かった。

謝罪を終え、自宅へ帰る途中の土手で
再度「ここから飛び降りたら死ねるかなぁ。。一緒に死のう。。」と言い始める母親。

叱るや怒るという次元ではない。

本気で死を提案してきているし
目がイっちゃってる。


そんな母親と父親の元で私は育った。

中学生になり、転校することもなくなった頃
中途半端にグレた。

喧嘩するわけでもなく、暴走族に入るでもなく
部活で汗を流し、夜中に原付バイクで仲の良いメンバーで集まっては徘徊した。

実に中途半端にグレた。

高校でも部活に汗を流すかたわら
他校の暴走族に属さない人間で集まっては徘徊した。

今では当たり前のように味わえるが
当時の深夜の空気の澄み渡る感じや
オイルの匂いの新鮮さは刺激的だったのを覚えている。

ミスター中途半端に育った
そんな私がホストクラブで働き始めた。


つづく




本当にバカなのだろうか?

この方のことは、よく知らないけれど
168センチ54キロと数値を見る限り
ガリガリの部類に入るし
15年間体型が変わらないで
欲望のままに食べる点を加味すると
太りにくいもしくは食べても太れない体質なのかなと推察する。


そんなおじさんが
太りやすい人の悩みを「バカ」と乱暴に一刀両断するなんて
大胆なこと書くなぁと思う。


http://president.jp/articles/-/22721?page=3

現代のダイエットの主流は「健康美」

私の知る限り、現代のダイエットの主流は「健康美」。

健康的に痩せる。が主流で
食事についても随分良質な情報が出ていると
私は思っている。

いつまでも「健康でありたい」「美しくありたい」

これも立派な欲望ではないだろうか?

平均寿命より健康寿命に流れが来ていて
若い世代から非喫煙者は増加しているし
体を動かす習慣を身につけている人も
随分増えたのではないだろうか?


ストレスを溜めるだけのダイエットはやめようという点は共感するけれど
局地的ブームに乗って紆余曲折するのも人間らしくて良いのでは?

とりあえず乗ってみて、合わなかったから辞める

そう判断できるのは、実際やってみた人ができること。



炎上が狙いなのだろうか?
何のための記事なのだろうか?


ダイエットの主流は
とうの昔に「ただ痩せる」から「健康的に痩せる」に
シフトしていると思うのだが
私が情弱なのだろうか。。。


ただ間違いなく言えるのは
男同士ならまだ良いが
女性のダイエット問題に
首を突っ込むのは無粋極まりないと私は思う。

警笛の鳴らし方を考えた方が良い。
少なからず私はこの記事を見てそう思った。




社会の厳しさなんて本人が勝手に学ぶから、あなたがわざわざ口にする必要なんてない


「社会はそんなに甘くない」


私の禁句ワードの1つだ。

まるで決めゼリフかのように、ドヤ顔で言う人もいる。


「社会は甘くない」ということは、あなたがわざわざ口にする必要なんてない。

私がそう思う理由は単純である。
社会の味は、社会が勝手に本人に教えてくれるものだからだ。


契約を取っても、ドタキャンされる。
要望通りに納品したのに急な仕様変更を要求される。
入金の確約を取り付けたのに、入金されない。

もちろん叱咤激励は必要なことではあるけれども
「社会はそんなに甘くない」という言葉には
「あなたは社会を甘く見ている」という否定する要素も含まれていると私は思う。

それよりも、その厳しさをどう乗り越えようか寄り添う方が
よほど生産的で建設的だ。




スマホを持たずに出掛けることに慣れると。。。

いつでもどこでも誰とでも繋がれるツール。


スマホ


スマホを自宅に置いて、出掛けてみることを提案したい。


【効能】
解放感を得られる
スマホに費やしていた時間の使い方を考えられる

【注意事項】
大切なお仕事などありますので、
用法用量は正しくお使いください。



道に迷った時や
辿り着いた先の情報を教えてくれるGoogle大先生もいない。

通勤時間やちょっとした隙間時間の暇潰しに
見てしまう事もなくなる。


最初は不安になったり、手持ち無沙汰でソワソワしてしまうけど
慣れてくるとスマホに費やしていた時間が
自分で思っている以上に多いことに気付いた。

一切使わない訳ではないが
通勤時、仕事の休憩時間にスマホを持たないようにすると
ビックリするほど時間が長く感じるのだ。

この空き時間を何に費やそうかと考え
読書してみたり、無駄に歩き回ったり、ドローイングで体を鍛えてみたりした。

ストレッチしたりもした。

道を尋ねてみたりもした。Google大先生がいないからね!

1番良かったことは眼精疲労が改善されたことだ。


スマホを手放す時間を作ると
スマホとの付き合い方を改めて考えることができて
隙間時間を有効に使えることに気づけるかも!

ぜひお試しあれ!!




【大切なことはニーチェが教えてくれた】


私は、1980年代の10月15日に生まれた。


約150年前の同じ日。


ドイツで
ニーチェ」という変わった哲人が生まれた。


100年もの月日が経った今も
彼が残した言葉はヒッソリと生きている。


「初めの一歩は自分への尊敬から」
自分はたいしたことがない人間だなんて思ってはならない。
それは、自分の行動や考え方をがんじがらめに縛ってしまうようなことだからだ。

そうではなく、最初に自分を尊敬することから始めよう。
まだ何もしていない自分を、人間として尊敬するんだ。

自分を尊敬すれば、悪いことなんてできなくなる。
人間として軽蔑されるような行為をしなくなるものだ。

そういう風に生き方が変わって、理想に近い自分、他の人も見習いたくなるような人間になっていくことができる。

それは自分の可能性を大きく開拓し、それを成し遂げるに相応しい力を与えることになる、
自分の人生を全うさせるためにまずは自分を尊敬しよう。

「自分を尊敬する」
結果は生物。

自分×人×場所×時間

いろんな方程式があるけれど、
自分とその相手と場所や時間などが掛け合わされて
出てきたものが「結果」。

他人は簡単には変わらないけれど
自分と場所と時間は変えられる。

すぐに変えられるものは
変えてみて、また挑戦してみよう。